【怪鳥】 エルコンドルパサー物語
エルコンドルパサー(El Condor Pasa)は、日本の競馬史において、特に国際舞台での活躍が際立つ伝説的な競走馬です。
その名前は南米の有名なフォークソング「El Condor Pasa」から取られ、まさに名前に恥じない輝かしい活躍を見せました。
彼の物語と雑学を詳細に掘り下げてみましょう。
### **出自と背景**
エルコンドルパサーは、1995年3月17日にアメリカで生まれました。父は有名な種牡馬キングマンボ (Kingmambo)、母はサドラーズギャル (Saddlers Gal) で、母の父は名馬サドラーズウェルズ (Sadler's Wells) という血統的に非常に優れた出自を持っています。彼の誕生地はアメリカですが、所有者は日本の馬主であったため、日本に輸入され、日本競馬で活躍することになりました。
### **競走キャリアのスタート**
エルコンドルパサーの競走馬としてのデビューは1997年11月の新馬戦で、東京競馬場のダート1600mで初出走しました。デビュー戦は、圧倒的な強さを見せて勝利を飾り、その後の競走でも圧倒的な力を発揮し続けました。
### **海外挑戦と栄光**
エルコンドルパサーが真に伝説となったのは、1999年の海外挑戦です。
この年、彼はフランスを拠点にし、凱旋門賞(Prix de l'Arc de Triomphe)というヨーロッパ最大の競走に挑戦しました。前哨戦としてサンクルー大賞(Grand Prix de Saint-Cloud)やフォワ賞(Prix Foy)に出走し、いずれも勝利を収めました。
特に、サンクルー大賞は日本馬にとって初めてのヨーロッパのG1競走制覇という快挙であり、日本競馬にとっても大きな意味を持つ勝利でした。そして迎えた凱旋門賞では、惜しくもモンジュー(Montjeu)に敗れて2着に終わりましたが、この結果は日本の競馬ファンにとって非常に誇らしいものでした。
エルコンドルパサーの勇姿は、日本競馬が世界に通用することを証明した瞬間でした。
### **引退と種牡馬としての活躍**
凱旋門賞後、エルコンドルパサーは現役を引退し、日本に戻って種牡馬となりました。しかし、残念ながら種牡馬としてのキャリアは短く、2002年に腸捻転で亡くなりました。
それでも、彼は数多くの優秀な子孫を残し、競馬界にその名を刻みました。
### **エルコンドルパサーに関する雑学**
1. **名前の由来**
「エルコンドルパサー」という名前は、南米アンデス地方の伝統的なフォークソング「El Condor Pasa」から取られました。この曲は日本でも広く知られており、その名が与えられたエルコンドルパサーは、その名の通り世界を飛び回る偉大な競走馬となりました。
2. **体重管理**
エルコンドルパサーは非常に大型の馬で、その体重管理には特別な注意が払われていました。
彼の体重は600kg以上にも達しており、これが彼の強力なパワーの源となっていました。
しかし、大型の馬ゆえに怪我のリスクも高く、慎重な調整が求められました。
3. **日本競馬への影響**
エルコンドルパサーの凱旋門賞での活躍は、日本競馬が国際舞台で通用することを証明し、その後の日本馬の海外挑戦を後押ししました。
彼の成功により、日本競馬界全体が欧州の大レースを目指すようになり、今でも多くの馬がエルコンドルパサーの足跡を追いかけています。
**まとめ**
エルコンドルパサーは、日本競馬の歴史において欠かせない存在であり、その勇敢な挑戦は今なお語り継がれています。
彼の物語は、単なる競走馬の枠を超え、国境を越えた感動と誇りを日本にもたらしました。
その遺産は今もなお、日本競馬界に深く根付いており、彼の名前は永遠に語り継がれることでしょう。
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